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【読書】渡部昇一『知的生活の方法』を再読|情報過多時代の知的生活術

渡部昇一『知的生活の方法』講談社(講談社現代新書)を読み終えました。以下はその感想です。

はじめに:50年前の古典が今も通用する理由

渡部昇一『知的生活の方法』は、第一刷発行が1976年4月20日と古いです。50年前の本ですが、今読んでも十分通用することが多いです。

当時はAIどころかインターネットもありません。その代わりが読書です。そのため、本書では読書の比重が高い人向けに参考になるように書かれています。以下引用します。

この本で私が意図したことは、本を読んだり物を書いたりする時間が生活の中に大きな比重を占める人たちに、いくらかでも参考になることをのべることであった。
p.3

私の体験をもとにして率直にまた具体的にのべたつもりである。現代という情報洪水の中にあって、知的生活をこころざされる人々に何らかのお役に立つならば幸せである。
p.5

1976年で「情報洪水」だと今は洪水ではすみません。大津波だと思います。その情報の量に対応するために具体的な話が本書なので、今読んでも十分に面白く、役立つはずです。

「知的正直」:分かった気になる自分をごまかさない

最初に書かれている「知的正直」は一番印象に残りつつも、忘れがちなことです。簡単に言ってしまえば「分からないことは分からないと、自分に正直になること」なのですが、読書でも日常生活でもつい分かった気になって先に進めてしまうことが多いです。

不思議な満足感を持った話や小説の現場へ行ったことで漱石が本当におもしろくなった話、ほんとうにおもしろい感じを大切にする話、おもしろい基準を立てる話など体感で分かったことが言語化されていてたいへん面白かったです。

そして自分をごまかさない精神の最後では以下のように書かれています。

この知的な歓びの源泉は、私が少なくとも読書に関しては「自己に忠実」であったことの報酬として与えられたものだと解釈している。
p.47

しかし読書の、つまり知的生活の真の喜びは、自己に忠実であって、不全感をごまかさないことを通じてのみ与えられるもののようである。
p.47

では自分の知的な歓びとその原点はなんだろうと考えてみると、「分からないことを知った瞬間」でした。もちろん、ずるをしたり、分かった気になったりするのではなく、知的正直になって分からないことを知った瞬間です。著者は「知的オルガスムス」と表現しています。この他では得がたい満足感に身に覚えがあるので、書かれている内容がすとんと腹落ちしました。

「古典を作る」:自分の基準となる本を持つということ

「古典を作るイコール自分の基準となる本を持つ」ことです。ではどのような本が古典になるかについて以下のように書かれています。

その秘密は「繰りかえす」、しかも「時間の間隔を置いて繰りかえす」ということにあると思う。「繰りかえす」ということは、子供の読書において重要なポイントである。そしてこの繰りかえしが二十年も続けられて、しかもそれに耐える本や作者にめぐり合ったら、相当に大きな人生の幸福と言ってもよいのではないだろうか。つまりそういう人は、その自信の、私の古典を発見したことになるのだから。そして『半七捕物帳』は、だれがなんと言おうと私の古典なのである。
p.66-67

娯楽小説でここまで年限を経て読んでいる本はありませんが、本書は大学生の時に読み、社会人になっても何度も読み、今はまた読み返してブログの記事にしているくらいなので、古典で良いのではないかと思います。

一方で電車通学だった高校生の時に読んだライトノベル(今は電子書籍で安くセット販売されています)を読み直してみると、残念ながらそれほど面白くはなかったです。つまり、この場合のライトノベルは私の古典にはならないということでしょう。

情報洪水の中、繰りかえし読むことはほとんどいません。ブログの記事を書く場合は数回読み直します。その繰りかえしで気づきがあるので、繰りかえし読むというのは一定の効用があると考えていいます。本書ではこのように書かれています。以下引用します。

それは筋を知っているのにさらに繰りかえして読むということであるから、注意が内容の細かい所、おもしろい叙述の仕方にだんだん及んでゆくということになるであろう。これはおそらく読書の質を高めるための必須の条件と言ってもよいと思う。
p.52

文体の質とか、文章に現れたものの背後にある理念のようなものを感じ取れるようになるには、どうしても再読・三読・四読・五読・六読しなければならないと思う。何かを感じとるためには反復によるセンスの錬磨しかないらしいのである。
p.59

今のAIを使ったタイパ・コスパの考えに毒されつつある状態ですと、随分と耳の痛い話です。一過性の情報ならそれでいいのでしょうが、「私の古典」を作るとなるとそういうわけにはいきません。

「本を買う」:無意識が情報を取りに行く瞬間のために

繰りかえし本を読む以上、本を買って手元に置くことは当然です。ここで気になったのは「ふと読み返したくなる瞬間」の話です。以下引用します。

別にこれという動機もないときに、いつか読んだ本がふと読みたくなることがあることをだれでも体験したことがあるだろう。その瞬間が極めて大切である。
p.72

これは私も経験があって、このとき読めば記憶に残り、ふとしたときに役立ったりします。一部引用すると、「おそらく頭脳の活動にもある種の栄養が必要」p.72。「理解するヒントを得たりしている」p.73などが書かれています。

なぜだか分からないけど必要なことなんだと思うと、本を手元に置くイコール本を買うということに違和感はありません。おそらくは、無意識が情報を取りに行くというのは、知的生活になにか関わりがあるのでしょう。そうでなければふとしたときに役立ったりしませんから。

また、電子書籍だと不思議とそういうことが起きません。AIは同じ答えが出てくるわけではありません。紙の本を買って手元に置いておけば同じことが書いてあります。今回のだといつ引いたか分からない線やコメントが残っていました。懐かしさを感じつつも、より理解が深まったようにも感じました。

「知的空間と情報整理」:理想の書斎と現実の制約

知的空間の話では家の設計図と共に知的空間の話があります。さすがに家を建てる話は手出しできません。夢があっていいのですが現実は厳しいです。2015年の発売された渡部昇一『渡部昇一 青春の読書』ワックで著者の書斎と家を見ることができます。著者は知的空間を手に入れたわけです。羨ましい限りです。羨ましい話だと図書館に住んでいた話もです。

「本が手元にあれば文献をすぐに確認できるので、知的生産をする時間を短縮することができる。」というのは分かります。おそらくは司馬遼太郎と思われるエピソードも書かれていますが、現実は厳しいですね。エピソードは以下の通りです。

この蔵書と知的生産の比率が、小説の世界にも及んでいる現代である。広い読者層を有する某小説家の場合、ある時代のある人物を主題に決定すると、それに関係した文献を集めるのに金を惜しまない。少し誇張すれば、トラックで運び入れるほどの文献を手許に集めてしまうという。
(中略)
手許に本を置くということによる力が大きいと言わねばならぬ。そして並の学者が十年もかけて調査するところを、数ヶ月でやってしまうのである。
p.103-104

ではどう対抗するかという話でカード・システムの話が興味深いです。私のような受動的知的生活者に毛が生えた程度であれば不要ですが、能動的知的生活者や空間的に苦しい場合はカード・システムもあるという話です。受動的知的生活者と能動的知的生活者については以下の通りです。

受動的な知的生活というのは主として本を読み、考え、また友人などと話し合うことである。
(中略)
能動的知的生活者とは、本や論文を書いたり、新聞・雑誌など、マス・メディアに意見を発表する人のことである。
p.99

ものは試しにと京大カードを使って読書についてまとめてみたことがありました。そろえてみると読書系の本に共通しているところが見つかりましたが、それをどうこうするほどではなかったので途中で止めてしまいました。それでもなかなかおもしろい体験だったことは覚えています。

物理的な知的空間を大きく確保出来ない身としては、本書に書かれているクーラーの素晴らしさを感じる程度が限界です。

「知的生活と時間」:下手な勉強が時間を奪う

下手な勉強の話が耳に痛かったです。以下引用します。

ハマトンは時間を空費させるもっとも大きな敵は、下手な勉強だと言っている。
p.160

他のコンテンツで資格試験の受験体験記を書いていますが、ここでいう下手な勉強をしていることがあります。試験には合格できず、覚えた知識は頭からこぼれ、また試験に失敗しするということを繰り返しています。

他には見切りの話やコウスティング(健康的な退行現象)、半端な時間の使い方があります。これらは実践している話なので、あまり関心はありませんでした。

時間の関係で見切りというか割り切ってしまうことはしょっちゅうですし、難しい本に疲れたら易しめの本を読むコウスティングは今もしています。私の場合の半端な時間は主に通勤時間ですが、Udemyを使ったりニュースを少しチェックしたりしています。

おわりに:AI時代にこそ読みたい『知的生活の方法』

あらためて読むと知的生活の基盤が分かります。古いようで古くありません。

本書にはAIもインターネットもありません。しかし、ここで得られる基盤があってこそのAI利活用だと思います。知的生活にAIを利用する方法は本書には書かれていませんが、AI時代の知的生活を再設計するための基準点として、これからも折に触れて読み返したい一冊です。

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