三宅香帆『それを読むたび思い出す』早川書房(早川文庫JA)を読み終えました。以下はその感想です。
本書は2022年2月に青土社より刊行された作品を文庫化したものです。
はじめに:「そのまえ」の話
本書の反省を経て、試行錯誤して、私は新書というジャンルで調査して現代社会の問いを見つけて、それに向けて書くという航路を発見した。でもそれは「そのあと」の話である。
三宅香帆『それを読むたび思い出す』早川書房(早川文庫JA)、2026年10月15日第1刷発行、182ページ。
このように書かれている通り、有名になる前の話です。地元、京都、読書の三つに分けられて、それぞれについて書かれています。「本書を読み返して、今だったらこういうふうには絶対書かないなあ、と思うところがたくさんある」(p.182)とありますが、それでもいいなと思うところがいくつかあります。
例えばまえがきにある「まるで隠れていた猫がするりとカーテンの隙間から現れるように」(p.7)や「あなたのなかにそっと息を潜める記憶を、一緒に撫でてもらえたら」です。
カーテンの隙間から現れた猫のような内容を、気まぐれに読んでいて見つけることができたなら撫でてみたくなります。再読した時にそのような感覚になったことがありました。
共感できるところもあれば、なるほどと思うところもあります。それを「カーテンの隙間から現れた猫」と表現しているところが気になっています。
地元・京都:隙間の話
地元の章も京都の章も「隙間」の話が記憶に残りました。地元では、
ブックオフで105円の文庫本を買うことは、勉強と部活とそれに伴う人間関係でいっぱいいっぱいだった中高時代の、小さな、大切な隙間だった
三宅香帆『それを読むたび思い出す』早川書房(早川文庫JA)、2026年10月15日第1刷発行、28ページ。
と、書かれており、京都では
退屈すら、それは自分の養分だった。贅沢な時間とは、別にお金をかけることではなく、必要のないありあまる余白を持て余すことなのだと知った。
三宅香帆『それを読むたび思い出す』早川書房(早川文庫JA)、2026年10月15日第1刷発行、78ページ。
と書かれています。方や大切な隙間で、方や贅沢な時間です。京都の話は大学生時代の話であり、モラトリアムにも触れています。
モラトリアムが終わるのが、怖かった。
三宅香帆『それを読むたび思い出す』早川書房(早川文庫JA)、2026年10月15日第1刷発行、112ページ。
それでもあのとき読んだ本が、話した言葉が、見た景色が、私の糧になっている。
人生を振り返らないと糧になっていることを実感しづらいです。同じように学生時代に読んだ本は(社会人になると本を読む時間と気力を保ちにくい)なぜか糧になっていると思う瞬間があります。しれっと自分の考えの土台になっていることもあります。そのため、言わんとしていることが分かります。
今だとこの隙間にスマホを見ていることが多いのでしょうが、一人で読む本は一度忘れても突然思い出したり、振り返ると土台になっていることに気づかされます。今や無意識に近いところではあるのですが、カーテンの隙間から現れた猫を撫でるように読むと、何やら感慨深くなりました。
読書:孤独の話
読書の項目は「内気」から始まり「孤独」で終わります。読書は己の内面を問われることもあるので、それを全体で表現しようとしたのかな?と読み終えて思いました。
本のタイトルの回収と思われる個所がありました。
本のページを捲るだけで、その行間から、過去の香りと、なぜか未来の記憶まで、漂ってくるように感じるのだ。
三宅香帆『それを読むたび思い出す』早川書房(早川文庫JA)、2026年10月15日第1刷発行、130ページ。
未来の記憶まで思い出すのは不思議な感覚ですが、読書をしていると本から離れて別の考え(妄想)が広がっていくことはままあります。
行間ではなくキーワードのときもあり、思い出したり、全然違う「何か」を考えたり、思いついたりと見えない何かにつながっているように思えます。うまく拾えばセレンディピティの欠片を拾えるのではないかと思います。
……と、このように漂ってきました。
おわりに:自伝的エッセイを読んで
「文庫版あとがき 固有名詞をしまう夜」に出てくる古語の「しる」の説明が興味深かったです。
著者のように本として世に出すことは出来ないけれど、読書ブログとして世に出している身としては、知的好奇心の赴くままに「しる」を実行していることが言語化されていて、ちょっとうれしかったです。

